あらすじ
若い女の子の部屋は、どうしてこんなにいい匂いがするのだろう――。ひょんなきっかけで親友の娘の部屋に上がることになった俺。彼女が俺に好意を寄せてくれているのは分かっていたが、親友の娘に手を出すわけにはいかない。なのに、甘い香りのせいで次第に理性が……
※約7300文字
親友の娘に呼び出されて
「私、もう大人ですよ」
「そういう問題じゃなくてだな……」
「とりあえず手、貸してください」
路上で座り込んでいた山下芽衣(やました・めい)に手を差し伸べた。
彼女のちょっとした策略だった。俺の手を握って立ち上がった勢いのまま、芽衣は俺の首に抱きついてきた。
耳に彼女の生温かい、しかし酒臭い息が吹きかかる。
「私、そんなに魅力ないですか」
「だからそういう問題じゃなくて…芽衣ちゃんは俺の親友の娘なんだから」
「そんなのかまわないです」
「俺はかまうんだよ!」
「おっぱい、けっこう大きくなったんだけどな」
ぐいっ、と上半身を押し付けてくる芽衣。豊かな2つのふくらみが俺の胸でつぶれる感触。
危うく下半身は反応しかけたが、こんな誘惑に負けるわけにいかない。
「急に連絡来たからびっくりしたぞ。社会人1年目で、色々大変なのは分かるけど、酔っ払って1人でフラフラしてたら危ないじゃないか。会社の人と一緒じゃないのか?」
「お説教、嫌い…」
拗ねたような声を芽衣は出した。耳に再び、生温かい息がかかった。
「同僚5人と飲んでました。男が3人です。そのうちの1人と店を抜け出しました。コクられました」
「そうか」
「そうかって…それだけ? 路地裏で抱きしめられたんですよ? キスされそうになったんですよ?」
「いいんじゃないのか。無理矢理じゃなきゃ。若いんだし」
ばか、とささやいた芽衣は俺の耳たぶを甘噛みした。
「おい、やめろ!」
「私、若い男の子に興味ないんです」
芽衣は田舎で農家をしている親友の1人娘だ。芽衣が大学進学で都会に出る際、何かあったら力になって欲しいと頼まれていた。
彼女が幼い頃はよく一緒に遊んだし、田舎を離れてからも年に1度は帰郷していたから、中学生、高校生と成長していく姿を穏やかな気持ちで見守っていた。
中学生の頃は少しよそよそしくなった彼女だったが、高校生になればそれも解消されて、オジサン、オジサン、と慕ってくれるようになった。
親には相談できない、友達や異性の相談にもよく乗ったものだ。芽衣の友達が妊娠して堕ろす時に内緒でお金を用立ててやったこともある。
俺の親友は、そんな芽衣の様子を見て俺に相談役を託してくれたのだろう。俺がトラブルの元になるわけにはいかない。親友の期待を絶対に裏切れない。
「ホテル、行きます?」唐突に芽衣が言った。
「バカ言え」焦ったが、平常心をよそおった。
「じゃあ、これからどうするんですか」
「芽衣ちゃんのアパートまで送っていく。決まってるだろ」
「やだ。帰りたくない」
「ワガママ言うな」
「もっとオジサンと一緒にいたい」
「無理だ」
「私のこと好きにしていいのに…」
「好きにする。だから送っていく。俺はお父さんに君のお守りを頼まれてるんだ」
すると芽衣は、俺の首に絡ませていた腕を解いた。
お守り、などと口を滑らせたことを後悔した。いくら幼い頃の彼女を知っているとはいえ、妙齢の女性に使う言葉ではないだろう。
「すまん、そんなつもりじゃ……」
「分かりました。帰ります。1人で帰れます」
俺に背を向け、芽衣はフラフラと歩き出した。駅とは反対方向だ。終電も迫っている。放っておけるわけがなかった。
「芽衣ちゃん!」
遠くなる細い背中に声をかけるのと同時だった。
人混みの中から若い男が現われ、お姉さん飲みに行かない、と芽衣に声をかけ、馴れ馴れしくその肩を抱いた。
「おい、何してる。離せ!」
アラフィフという年のことを考えるべきだった。まずはスマートな大人の対応を試みるべきだった。それなのに男に突っかかっていってしまった。
男はガタイが良かった。「アン?」と俺に剣呑な目を向けた。男につかみかかった途端、腹に衝撃が走り、頬骨がきしんだ。俺は吹っ飛ばされてて、地面に転がった。
「きゃぁぁっ! オジサンっ!」
芽衣の悲鳴が夜の街に響いた。こんな時間でも人通りが多いのが幸いだった。男はそれ以上、俺に攻撃を加えることなく、舌打ちを残して去っていった。
芽衣の家まで
気を失ったわけではないが、殴られたのが久しぶりで痛みよりショックが大きかった。吐き気もするし、体が震えてうまく歩けなかった。
だから、芽衣に肩を借りて歩いた。
「オジサン、ごめんなさい…私……」
消え入りそうな芽衣の声に、「いいんだ」と答えた。「芽衣ちゃんが悪いわけじゃない。いい年して頭に血が上って……。芽衣ちゃんが無事ならそれでいいんだ」
「オジサン……」
女性の前でブザマな姿をさらしてしまったのだ。自尊心も傷ついていた。正直言えば、もうあまり触れて欲しくはなかった。
終電はとっくに終わっていた。大通りに出てタクシーを拾い、芽衣のマンション近くで止めてもらった。芽衣を送り届けたらそのまま帰るつもりだったが、芽衣はそれを許してくれなかった。
「せめて手当だけでもさせてください!」
「いや、しかし……」
「ケガしたオジサンを放っておいたら、お父さんに怒られます!」
「しかしだな……」
そんな押し問答を続けていたら、タクシー運転手が迷惑そうな声で言った。
「お客さん、降りるんですか、乗ってくんですか。この時間、こっちもかき入れ時なんでね、早く決めてくださいよ」
それで降車するしかなくなった。
地面に足をつけると、足はまだおぼつかない。結局、芽衣の肩を借りるしかなかった。
大丈夫だ、と俺は自分に言い聞かせる。
手当をしてもらうだけだ。時間も時間だし、体も痛い。今日は泊まらせてもらうことになりそうだが、芽衣は俺を信頼してくれている親友の娘だ。
何もない。あるわけがない。
そう何度も言い聞かせなければならないほど、鼓動が早くなっていた。これから若い女性の部屋に入るんだ、という状況のせいで……。
若い女の子の部屋、その匂い
部屋に入ったとたん、ふわりと甘く爽やかな、桃のような香りがほのかに漂った。
8畳ほどのワンルームマンションだった。
淡いグリーンのカーペットの上には小さなローテーブル。壁際のデスク上にはノートパソコン。キッチンに洗い物は残っていなかったし、窓際のベッドはしっかり整えられていた。 出勤前にベッドを整えるなんて、俺には考えられない。
「オジサン、そこに横になって」
「いや、でも……」
「いいから、遠慮してる場合じゃないでしょ」
汚れるからいい、と言ったのに芽衣は俺を服のままベッドに寝かせてくれた。甘い匂いが強くなった。
洗ったばかりの白いシーツ。淡いピンクの布団カバーで覆われたふかふかの羽毛布団。若い女の子の部屋に入るのは久しぶりだった。というか、俺も若かった頃以来だ。
ソワソワ落ち着かないでいると、ふいに芽衣の顔が近づいてきた。いつのまにか芽衣は、部屋着のピンクのパーカーに着替えていた。
「おい、何をする気だ!?」
「違うよ。傷、手当しなきゃ」
芽衣の手には消毒液とガーゼがあった。
いい年して自意識過剰だな、と苦笑した。
「何笑ってるの? もしかして頭打った?」
「いや、何でもないんだ」
気がつけば、芽衣は敬語をやめていた。
また急にドキドキしてきた。芽衣に翻弄されているな、と苦いが、どこか居心地の良い感覚にとらわれた。人間に限らずあらゆる生物のオスは、生涯女に振り回され続けるのだろう。
頬の傷に消毒液は染みた。
「痛っ…」
「すぐ終わるから。男でしょ」
敬語をやめただけでなく、まるで俺を子ども扱いだ。あの幼かった芽衣が、と振り返れば感慨深くすらある。
一通り手当てが終わってから芽衣は、俺の頬の傷口に軽く唇をつけた。油断があった。思わぬ不意打ちにひるんだ。
「おい……」
「聞いて、オジサン。中学生くらいからかな。お父さんの知り合いのオジサンが、私の中で恋愛対象に変わったの……」
「あのな……」
「最初はその感覚が何なのかよく分かんなかった。だけど、ある時、学校で男子と話してる時に気づいたの。オジサンと一緒にいる時の感覚は、トキメキなんだって。同級生の男の子じゃ、私はトキメかなかった」
「………」
「オジサンと会う前はワクワクする。オジサンと会ってる時は楽しい。オジサンと別れる時は寂しくてたまらなくなる。そういう感覚が、同級生には全然芽生えなかったの。分かるでしょ? 私の言ってるコト」
肯定も否定もできずにいると、芽衣は俺の手を握った。白くて細い指が絡まってきた。
「オジサンがいいよ……」
芽衣の大きな瞳から涙がこぼれ、俺の手の甲に落ちた。
「だって、オジサン以外の誰かに触られたってちっとも嬉しくないんだもん。だから、ね。せめて最初は、オジサンがいい。そうしてくれなきゃ、私、一生バージンで終わっちゃう」
泣き笑いする芽衣の頬に手をあてた。温かさが胸に染み入ってきてこっちまで泣きそうになった。
「親友の娘が、男も知らないまま干からびちゃってもいいの? そしたらオジサンの責任だよ」
その時、甘い香りがまた強くなった。
俺は芽衣の腕を引いて抱き寄せていた。抵抗をしない芽衣の顔が俺の胸に埋まる。
さっきまで殴られて震えていたクセに、今は若い女の子の部屋で欲情している。それがちょっと不思議な感覚だった。
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