あらすじ
彼女ひとすじの男の子を好きになってしまった。頑張ってアプローチしても彼は首を横に振るだけ。いい加減あきらめなきゃ……そう思っていた矢先、スキー旅行で遭難しかけた私を助けたくれた彼と山小屋で一夜を過ごすことに。今日だけでいいから、私のこと好きになってくれる?
※約6900文字
ゲレンデのまぶしい彼
光の中、淳平君が飛んだ。
バックサイド360。
ちょっとした傾斜から反動をつけてジャンプ、そのまま空中で横に一回転。
天高く、というほど実際には高くないけれど、私には十分すぎるほど高かった。
ただでさえ遠い距離が、更に遠くなってしまったような気がして涙があふれる。
「くっそー、いい男だな……」
ゲレンデに反射する光よりも、もっともっと彼がまぶしい。
「どうして私じゃないのかな……」
かれこれ2年以上、4つ上、26才の彼を思い続けていた。出会いは居酒屋。ゼミのコンパで利用した店でバイトしていたのが淳平君だった。
オーダーしたナンコツの唐揚げを持ってきてくれた時に彼が足を滑らせ、ナンコツをぶちまけてしまった。
平謝りする彼と一緒にナンコツを拾い、指先が触れ、「ありがとう」と最後に笑顔を向けられた瞬間に私は吸い込まれた。太陽みたいなでっかい笑顔に。
私は惑星になった。
彼の周りをクルクル回り続ける恋する惑星。
当時付き合っていた同じゼミの彼氏とは別れた。好きな人が出来たから、と正直に打ち明けた。淫乱女とののしられた。確かに淫乱なのかもしれない。だって彼にこんなにも触れられたい。いじられたい。抱かれたい。溶け合いたい。
バイトも変えた。淳平君が働いている居酒屋だ。
彼はフリーターで、バイトを掛け持ちしていたからシフトの関係で週に1度しか会えなかった。
一緒の時はいつも笑顔でいられた。でも、それ以外の時、私はいつも泣いてばかりいた。
ポンコツになった涙腺。スマホをいじっている時も、映画を観ている時も、楽しい時も悲しい時も、どのみち涙があふれてきた。
淳平君には恋人がいた。
SNSで知り合ったという私と同い年の女の子。インターネット回線ごときで繋がり、スノボの話で意気投合したらしい。
――ありがとう。でも俺、彼女いるから。
バイトの飲み会の帰り道、酔った勢いを借りてコクった時にそう告げられた。想定できる事態だったのに目の前が真っ暗になった。インターネットなんて嫌いだ。
あっさりあきらめた。つもりだった。私の心はそんなに頑丈じゃない。けれど、そこからの攻勢には自分でもびっくりだ。
何度も強引に飲みに誘った。
たまに付き合ってくれた時には、短いスカートをはいて、胸元の開いた服をきて、色仕掛けに打って出た。酔ってしなだれかかり、おっぱいを淳平君の腕に押しつけたり、首に抱きついたりした。
何度も何度も好きって言った。2番目でもいいから、と泣きすがったこともある。
それでも彼は困ったような笑顔を浮かべるだけで、決して手を出してくることはなかった。
――君の気持ちは嬉しいけど、ごめんね。俺、彼女を泣かせたくないから。
それが淳平君の常套句。
バレないよ。1回くらいいいじゃん。
なりふりかまわず食い下がったけど、やっぱり頑なな彼なのであった。
「さすがにもう、あきらめよう……」
キスのひとつもくれないまま、私は大学の卒業を迎えようとしている。いい節目のように思えた。今回のバイト仲間によるスキー旅行で、心に折り合いをつけようとしていた。
だから全然、打算とか計算とかじゃなくて。
まぶしい彼に背を向け、ひとりでリフトに乗り、下手なクセに難易度の高いコースを選んだのは、ふっきるための手段のひとつ。そのつもりだった。
なのに、出会わなきゃよかったとワーワー泣きながら滑っていたらいつの間にかコースを外れ、これ絶対整備されてないよね? という雪原に迷い込んでしまい、雪に腰まで埋まり歩くのもままならなくなってしまった。
「クマが出たらどうしよう。食べられちゃうよぉ……」
あたりはどんどん暗くなる。
雪がしんしん降り始める。
圧倒的な心細さに押しつぶされそうになっていた時、その声が聞こえた。
「さっちゃん! おい、さっちゃん! 返事してくれ!」
白馬の王子さま――。
やっぱり。
私にとって淳平君は、どこまでいっても王子でしかないのだ。
生命の危機にさらされているのに、胸はきゅんきゅん鳴りっぱなしだった。
深い雪が容赦なく体力を削る。
寒くて、足が痛くて、体中が動かなくて、本当につらいけど淳平君と手を繋げたことが嬉しい。繋いだ手はぶ暑いグローブ越しだったけど、それでも嬉しいモノは嬉しかった。
「この丘を登りきった向こうに山小屋があるから……ふう。もう少しだから……頑張れ」呼吸を乱しながら彼が言った。
「うん、ありがとう……」ギリギリの体力でそう答えた。
彼はこのスキー場によく来ているので、土地勘みたいなモノがあるようだった。頼もしい限りだ。
私は精一杯に雪を踏みしめた。
死ぬのが恐かったからじゃない。体力的にしんどくて、なんなら死んだ方が楽なんじゃないかと思っていた。
でも死んだら、彼とのハッピーな時間が終わってしまう。ただそれだけが、私が頑張れる原動力だった。
「山小屋には有事に備えて非常食が置いてあるんだ。絶対大丈夫だから。あとちょっとだからな」
「うん。私……頑張れる。淳平君がいれば、それでしあわせ」
これがいけなかった。
淳平君の怒りに火を着けてしまったようだった。
そんなに怒らないでよ!
やっとの思いで丘を越え、山小屋に入ったとたんに淳平君の形相が変わった。
「バカやろう! 死にたいのかよ! 雪、なめてんじゃねえよ」いつも誰にでも優しかった彼の怒った顔を初めて見た。
「だって……」
「だってじゃねぇ!」
「だってだって!」
「ふざけんなよ!」
「だって好きなんだもん!」
涙で詰まりそうな声を必死にしぼり出した。
「好きなんだからしょうがないじゃん。私だって女の子なんだよ? フラれてもフラれてもコクり続けて、どんなに傷ついたか分かる? 大学生活棒にフったんだからいいじゃん! 手を繋げて嬉しくたっていいじゃん! 何でそんなに怒るの!」
我慢できなかった。
どっ、と涙が流れて止まらなかった。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっているのは分かったけど、どうしようもなかった。
そんな私のブサイクな顔面に少しひるんだのかもしれない。ごめん、と彼は謝った。「ごめん、言い過ぎた。寒くて心細くて、つらかったのはさっちゃんなのに……」
「同情したの?」
「え、何?」
「私がブスかったから同情したの?」
「は? 誰も、そんなこと……」
「いいの。同情でも、優しくしてくれるなら、ブスでもデブでもバカでも、何でもいい」
「だから違うって。そんな風に思ってねーよ。ったく、めんどくせーな」
言いながら、彼は電気ストーブに向き合った。
「一応さ、有事に備えてこういうの、用意されてんだよ。布団もどっかにあると思うから、探してきてくれる?」
「はい!」
私は小学生のように元気よく返事をして、室内を見回す。
って。探すほど広い室内ではなかった。
10畳ほどの部屋の奥に開き戸があった。布団はここにありますよ、と主張されているようなものだ。
私は布団を取り出そうとした。
彼と一緒にいる、という合法ドーピングのせいで体力が限界に達していることにも気づかずに。
「んしょ」
布団を抱え上げようとした瞬間に足がガクッと落ちた。
「きゃぁっ!」
ぶざまにひっくり返った。
起き上がろうとしたのに体に力が入らなかった。
――さっちゃん、どうした!?
淳平君の声がどんどん遠くなる。ああ、まずいな、と朦朧とする意識の中で考えられたのも束の間だった。 私の記憶は飛んだ。
凍えた体を温めて
寒い。
震えながら目覚めた。
「さっちゃん!」
ボヤけたピントがじょじょに合ってくる。淳平君の顔が近い。
仰向けに寝ている私を彼がのぞきこんでいるのだと分かるまで、十秒くらいかかった。
「私…」
「よかった! 気がついた! 急に倒れるからびっくりしたよ!」
そうだった。
私は布団を取り出そうとして倒れたのだった。
私に最後の一撃を加えた布団の中で私は寝ている。
だけど、違和感を感じた。
布団の中の手を動かした。
お腹を触る。素肌だった。
そのまま手を上にずらす。
おっぱい。やっぱり素肌。
パンツははいていたけど、つまり私は裸だった。
ややパニクった。でも、何をどう考えても、私の服を脱がしたのは淳平君でしかありえない。
「見た?」
「何が?」
「私の裸」
「ごめん……」淳平君は目を伏せた。「服、濡れてたから。風邪、ひいちゃうと思って…」
「けっこうキレイだったでしょ?」
「ば、ばか。見てねーよ。そんなには……」
「少しは見たんだ?」
「仕方ねーだろ。なるべく見ないようにしてたけど、そりゃ、多少はさ……」
「いいの。私の体は淳平君に見られるためにだけ、存在していたから」
ボディソープも。
ボディオイルも。
バイト代はたいて、つま先までしっとりスベスベの肌を保とうとしてきたのは全部が淳平君のため。淳平君に見られても、触れられても恥ずかしくないように毎日毎日メンテナンスを怠らなかった。
我ながら涙ぐましい。報われるはずの無かった努力が今、やっと報われたのだ。
だからいいの。
「淳平君……寒いよ」
「今、おかゆ作ってるから」
「温めて。淳平君の体で温めて。誰にも言わないから、だから温めて。寒くて死んじゃいそうだよ……」
目からこぼれたしずくが頬を伝う。
とまどいながらも淳平君は裸になってくれた。筋肉質の美しい裸。
「脂肪とか全然ついてないね」
私がそう言うと、多少はあるよ、とちょっと怒ったような顔で私の布団の中へ入ってきた。
コメント